KOKA´S LANDSCAPE

2014/01/30 今日の晃華

元気でね!

本校では、ユネスコスクール教育の一環(環境教育)として、調布市ホタル飼育ボランティアに参加しました。
昨年10月に調布市野草園からゲンジボタルの幼虫を借り受け、中学1年生が幼虫の飼育をしてきました。

 

 

 

 

 

そして今日1月30日、大きくなった93匹の幼虫を野草園に返却しました。
幼虫は4月に深大寺自然広場内の小川に放流され、6月には成虫になります。
(写真1枚目)砂の中の幼虫を探し出しているところです。

 

 

 

 

 

飼育を担当した中学1年生全員で、野草園の職員の方に挨拶をしました。

 

 

2014/01/30 ロングホームルーム報告

1月のLHRから

1月11日、中学2年生のロングホームルームでは、能楽師の方をお招きし、能楽ワークショップを行いました。生徒全員で、笛・小鼓・大鼓・太鼓・所作の体験をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月18日、中学1年生は2回目のボランティア学習の時間でした。前回6月に手話を学んだクラスは点字を、点字を学んだクラスは手話を学びました。

 

 

 

 

 

中学2年生は、ホロコースト教育資料センターの石岡史子さんをお招きして、「ハンナのかばん」のお話を聞きました。ユダヤ人の少女ハンナ・ブレイディの短い生涯を通じ、平和や共生について生徒一人一人が考えました。

 

2014/01/11 学校行事

新春かるた会

3学期最初の行事は、新春かるた会です。
2013年度 第40回新春かるた会は、まず1月7日の始業式の後に、クラス内での予選、続いて各クラス代表による予選が行われ、中学・高校それぞれ上位4名が決まりました。

 

 

 

 

 

そして今日1月11日、準決勝・決勝が本校茶室で行われ、今年度の中学・高校のかるた女王が決まりました。

2014/01/07 学校長の言葉

第3学期始業式 学校長式辞

「皆さん、明けましておめでとうございます」。

中高創立50周年を記念する諸行事など色々な出来事や想い出と共に2013年という年は去って、新しい年が静かに始まりました。

「明けましておめでとう」新年を迎えますと毎年、日本国中、当たり前のようにこの挨拶を交わします。正月が芽出度いと考えるようになった歴史はかなり古いと言われていますが、いつ頃からかは定かでないようです。

聖書の中で「正月」に相当するのは、秋の収穫祭ですが、収穫祭が祝われるのは10月頃でした。その後、バビロンに国を滅ぼされ、捕囚としてバビロンにまで連行されていった時に、イスラエルの人々は、その昔、神様が自分達の先祖をエジプトから奇跡的に脱出させてくださったことを思い出します。そして今度は再び、バビロンから脱出させてくださいと彼らは祈ります。それと共に、春の収穫感謝祭が出エジプトを記念する過ぎ越しの祭りとして、大きな意味を持ってくるようになりました。しかもバビロンでは、その月をニサンの月と読んでいましたが、それは「出発」という意味でした。そうだ私たちも新しい出発をしよう、そう思ったのです。
「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの日としなさい」(出エ12:2) こうしてイスラエルでは正月を出発の月として祝うようになりました。正月は「もういくつ寝たらお正月」と来るのをただ待つのではなく、もう一度、心を固めて出発し直す時となったのです。

人生はそれほど長くはありません。無目的に貴重な時間を浪費するには余りに限られた時間です。「本当に自分の人生に悔いはない。やるべきことは精一杯やった。生まれてきてよかった。」と言えるような人生を送るためにも、正月をボンヤリ迎えるのではなく、心を固め、決意も新たに新しい出発をする機会にしたいと思います。

ところで、新しい年を迎える度に、或いは、人生の節目節目で新しい出発が出来るということは、「人生はやり直しができる」し、「自分を変えることができる」ということでもあります。

福音書の中には、キリストのなさった多くのたとえ話がのっていますが、オヤッと思うたとえ話がたくさんあります。その中の一つに、「不正な管理人」のたとえがあります。この管理人が主人の財産を使い込んでいると告げ口する者があって、主人はこの管理人を呼びつけ会計報告を要求し、もうお前に財産管理の仕事は任せられないと申し渡します。そこで管理人は考えます。ここで管理人の仕事を取り上げられたらどうしよう、肉体労働する力はないし、物乞いするのも恥かしい。そうだよい方法がある、と一計を案じます。早速、管理人は、自分の主人に負債のある者を次々に呼び出し、自分の目の前で借金証文を書き直させ、負債を大幅に軽減してやるのです。つまりこの管理人は、自分が不正に使い込んだ分に加えて、他人の借金証文まで書き換えてやることで、主人には二重、三重の損をさせます。そうやって相手に恩を売っておけば、仕事を失っても、この人たちが自分の面倒を見てくれて、再就職の世話もしてくれるだろうというわけです。

さて不可解なのは、自分にこのような不正を働き大損させた管理人のこのやり方を、主人は巧妙なやり方だと大変感心していることです。普通なら主人は大いに怒り、管理人の不正を訴えて裁判を起こすはずですが、この主人は管理人を褒めています。一体またどうして、主人は褒めたのでしょうか……。

勿論、管理人の不正なやり方そのものを褒めたわけではないでしょう。主人が褒めたのは、第一に、自分の不正が主人にばれてしまったことで、もう駄目だと観念し、人生をあきらめてしまうのではなく、何とか窮地を打開しよう、首になっても生きていく方法を見つけようと必死に考えた、あきらめないその姿勢、態度です。第二に、管理人が職を失いそうになって、自分が何をなすべきであったか真剣に考え直し、本来、管理人として気配りしなければならなかった他の人々の存在に気付いたということです。利己的な動機からではありましたが、他の人が彼の生活の中に入ってきました。そしてついに彼は人のことを考えるようになったのです。そのことを神は褒めているのです。

この管理人の意向は、褒められたものではありません。でも周囲の人々に目を向け、友人をつくり始めました。主人は意向の純粋さを問題にするより、実際の行動によって他者とどう関わったか、その方がもっと大切だと考えているようです。どんなに立派なよい意向を持っていても、具体的な行動に移さなければ、目の前の人を助けることも、人を喜ばせることも出来ないからです。また何か失敗しても、どうしてもうまくいかないことがあっても、「生きている限り、人生はやり直しができる。あなた方の負債には目をつむって、損はわたしが引き受ける。だから大いに勇気を出してやり直しを図りなさい。」……このたとえ話を通じて、キリストはそう私たちに語りかけておられるのではないでしょうか。

さて2014年は、昨年、創立50周年を祝った中高が、次の50年に向かって新しい出発をする年です。創立以来、学園の成長と発展に尽力してくださった方々が築いてくださった学園のよき校風と伝統を引き継いで、「よりよい学園」、「よりよい学年とクラス」をつくるために、一人ひとりが「よりよい自分」になっていくという大きな理想と目的に向かって、失敗を恐れず困難にひるまず、前を向いて進みましょう。そしてもう一度、心を固めて新しい出発をしましょう。

文化祭を始め、行事の多い2学期でしたが、今年は更に中高創立50周年を締めくくる記念式典、感謝ミサなどの祝賀行事もあり、普段の年以上に忙しい学期であったように感じます。また忙しかったということの他に、捻挫や骨折などけが人の多い学期であったという印象も強いのですが、幸い大事には至らず、こうして2学期終業式を迎え、一年を終えることが出来ることを感謝しましょう。そして何よりも中高が、時代と社会が激しく移り変わっていく中で創立50周年という大事な節目の年を迎えることができたことを感謝したいと思います。

50年後、中高が創立100周年を迎える頃、皆さんは60代の働き盛り、きっと現役でバリバリ働いていると思いますが、その頃、晃華学園はどんな学校になっているでしょうか。あるいはどんな学校であってほしいと皆さんは願いますか。自分の母校として誇れる学校であってほしい、自分の子供や孫にも通わせたい学校であってほしいと望むのではないかと思いますが、それは先生方の努力と共に皆さん一人ひとりの真剣な学びと皆さんがどんな学校生活を送るかにかかっているはずです。創立以来50年間、晃華で学び巣立っていった皆さんの先輩たちが今日まで築いてくれた土台の上に、是非、皆さんの手で更に立派な学園を築いていってください。

さて2学期はいつも終業式に先立って、キリストの降誕を祝うクリスマスのミサに皆であずかっていますが、クリスマスを祝う意味について少し考えてみたいと思います。日本では、クリスマスと言うと、ツリーを飾り、クリスマス・ケーキを食べ、家族や親しい人に贈り物をしたり、もらったりする楽しい日、というようなイメージで受け取られています。中には教会でもクリスマスを祝うのですかと言う人もいて、残念ながらクリスマスの本当の意味は理解されていないようです。

クリスマス、それは父である神が最愛の御独り子イエスを人類に遣わしてくださった慈しみに感謝し、この計り知れない愛に応えたいと願う祝日です。神の全能の力、神の命、神の知恵などではなくて、最愛の独り子、すなわち神ご自身を与えてくださったのです。考えられない出来事です。キリスト信者でもその事実がどれほどのことか本当には分かっていないのではと思います。広大無辺な御方が、一番弱い者、無力な幼子に、しかも粗末な家畜小屋に無一物の姿で人となってくださったのです。

何のため? 私たちの考え方を転換させるためです。私たちは幸せというと、お金があって、名誉と地位があって、人から尊敬されて、色々欲しい物も手に入れて……というようなことを考えますが、本当の幸せというのはそんなものではないということを示すためです。

幼子は、後に人類の救いのために十字架に架けられていのちをささげ復活の栄光に入られるのですが、絶対的な存在である神が十字架にかかって亡くなるまでにご自分を無にされたのです。どのように生きるのか、どうしたら人と幸せな関係が作れるのか、どのように平和を求めたらよいのか、説教ではなく、ご自分の生き方で具体的に示し、人々を闇から救うためです。

ヨハネは、「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された」「神が、どれほど私たちを愛してくださるか、考えなさい」(Iヨハネ3:1)と言いますが、では具体的にこの神の愛に、どのように応えていけばよいのでしょうか。ヨハネは次のように言います。
「神がこのように愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです…目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできません」(Iヨハネ4:11,20)と。つまり神を愛するとは、今、私の目の前にいる人を愛すること。目の前で苦しんでおり、助けを求めている人がいるのに、無関心を装い、知らん顔をするのは神を無視し、神を愛さないことだと言います。イエスの教え、たとえ話、イエスの生き方、人との関わり方から、ヨハネは神の愛をそのように理解しました。

私たちは毎日、何不自由なく食べたり飲んだりし、自分の部屋の暖かいベッドで安心して休むことができ、こうして学校に通うことができていることを当たり前のように思い、とかく感謝することを忘れます。そして小さなことで不平不満を口にしてしまいます。でも世の中には生きるために想像を絶する困難や苦しみを抱えている人がたくさんおられ、理解と援助を求めておられます。TVを視、新聞を読む時、注意力と想像力を働かせて、その声なき声、その叫び声に耳を澄ませるようにし、せめて今、自分にできること―例えばささやかな献金や祈りなど―小さなことであっても、心を込めてお捧げすれば、神さまはそれを用いて大きな愛の奇跡を起こしてくださるということを信じましょう。

明日から冬休みですが、この2学期とこの一年間の学習への取り組み、或いは生活全般を振り返り、よく努力したと言えるのか、どこか投げやりになっていなかったか、課題は何かなどについて反省し、改善する方法も考えて、出来ることからやってみましょう。よいクリスマスと新年を迎え、希望を新たに新しい年の歩みを始めましょう。そして元気に新学期、登校してください。

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